家庭円満.com

家庭が円満であればどんなことだって乗り越えられる!

妻も親も友達も知らない、みちおの苦悩に満ちた人生記。家庭円満を志すまでの軌跡?!(超詳しい自己紹介)

いつも本ブログ「家庭円満.com」をお読みいただきありがとうございます。

「『家庭が円満であればどんなことだって乗り越えられる!』をテーマに、奇跡的に自分の家庭をもつことができた夫の試行錯誤を記すブログ。」と題してブログを続けておりますが、きちんとした自己紹介ができていませんでした。

それぞれの記事を通じて知っていただこうと思っていましたが、いろいろお伝えしたいことが散乱していることもあり、いまさらですが、このタイミングでちゃんとした自己紹介をさせていただきます。


タイトルにもしましたが、妻も親も友達も知らない、みちおの本当に苦悩に満ちた人生の側面を包み隠さず文字化したいと思います。


時系列で書いていき、長くなりますので、興味のあるところを読み進めていただければと思います。

それでは出生からどうぞ!

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photo by gfpeck

出生から幼稚園時代


1980年初頭、東京のサラリーマン家庭の長男として生まれました。母は専業主婦でした。

幼い頃はよく笑い、よく食べる子でしたが、一方で物事には慎重なタイプで、危ないことには手を出さない子であったようです。慎重な部分は、大人になった今でもそのままかもしれません。


幼稚園に入園後は、好きな女の子にべったりだったことばかり覚えています。あと、若い先生に甘えていたこと。

好きな女の子とは、いつもふたりでいて、卒園間際には、「もう会えなくなっちゃうね、さみしいよ。」などと大人びたことを言ってたことを覚えてます。

なんで、あんなにませたことしてたんでしょうか? その後のみちおを思うと摩訶不思議な幼稚園時代でした。


小学校時代


小学校入学後も、1・2年生のときは、担任が若い女性の先生であったことをやたら喜んでいたことくらいしか覚えていません。友達となにして遊んだかも全然覚えてないです。幼稚園のときに生まれた弟がいたので、きっと家で小さな弟とよく遊んでいたか幼馴染みと遊んだりしていたのでしょう。


3・4年のときになると、ようやく自分の記憶で話ができそうです。この頃のみちおは、学校の女の子にちょっかい出したり、友達とボール遊びしたり、ファミコンをしたりと、わりと活発な少年になっていました。

東京のど真ん中だったから、外で遊ぶのも結構大変だったもんです。だいたい遊ぶのは駐車場で、ゴムボールとかテニスボールを使って遊んでいて、ちょくちょく車に当ててました。


ファミコンは上手ではなかったけど相当好きでしたね。よくファミコンのピコピコ音の音楽に合わせて口笛を吹いて、ノリノリでプレイしたもんです。ドラクエは何度も冒険の書が消えて怒り狂ってました。


あと、ハマったのはミニ四駆! コロコロコミックを毎月買っていた影響ですね。みちおの時代はダッシュ四駆郎のときで、前ちゃんとか、ミニ四ファイターとかに憧れを抱いていました(いま思えばただのタミヤの社員ですよね)。

だいたいの車種は一度は買って改造しまくりました。ただ、走らせるところがなかったので道に走らせて壁に激突して壊れるとか、マンションの廊下に走らせて落下させるとか、かわいそうな使い方をされていました。コースがあればよかったのに。


そして高学年のとき、幼稚園ぶりにすごい恋してました。もちろん付き合うとかデートすることとか、そんなことはありませんでしたけど、常にその子を目で追っていましたね。メガネの似合う子ですごいかわいかったな。


中学校時代


中学校では親の仕事の関係で関西の学校に転校しました。あまりの雰囲気の違いになかなか慣れなかったものです。突然関西弁なんてしゃべれませんって。


そのうえ部活は運動部と、親からのプレッシャーがあり、嫌々ながら野球部に入りました。そしたら運悪く、顧問が怖い先生と入部してからわかり、部活が地獄のようでした。

そんなに嫌なのに練習には休むことはなく出てました。嫌々ながらも参加してたのは、親の目と先生の目ですね。怒られるのが怖くて、とりあえず行っていたという自主性のない子でした。自主性のなさはずっと続いている部分です。


中学校時代はあと、カッコつけたいんだけど、カッコつけてるのが見え見えなのはカッコ悪い、というよくわからない屈折した考えを持っていました。

キムタクのようにカッコよくなりたいと髪を伸ばそうともしてみましたが、ただもっこりヘアになっただけとか、胴長短足がばれたくないから姿勢悪く座るとか、いま思えば逆効果なことばかりしてました。


そんなことをしながら学校で友達としていたことと言えば、股間を触りあうとか、消しゴムのカスを授業中に投げて遊ぶとか、幼稚なことばかり。


ただ、この頃から人並みに音楽が好きになり、最新の音楽ランキングなどはよくチェックしてました。ちょうど小室ファミリーがもてはやされていた輝かしいミュージックシーン真っただ中です。

洋服とかマンガの流行りは疎いのに、音楽だけは自主的に楽しんで知ろうとしてました。

洋服については、本当に無頓着でしたね。親に用意してもらったものをただ着るだけ。


マンガは唯一「スラムダンク」にハマって、登場人物の身長を正確に言えるくらい何度も何度も読みまくりました。

あとは、床屋の待ち時間で男子向けの恋愛マンガの「Boys Be…」を読むのが楽しみでした。中学校では恋愛は全然しなかったけど、恋愛への憧れは半端なく持っていました。


勉強については、一夜漬けオンリーで、受験勉強もそのときだけ。そしてほどほどの進学校に進みます。


高校時代


高校時代が一番楽しかった、という人は多いように思いますが、みちお的には暗黒の3年間でした。無気力に過ぎ去ってしまった3年間でした。

まず、部活は中学校時代の嫌な思い出があったので、大学受験を言い訳に帰宅部でした。田舎の高校でやることもないんだからせめて文化部にでも入ればよかったんですよ。

しかも、入学時の友達作りに失敗して友達もできませんでした。クラスでどう思われていたか分かりませんが、常にボーッとしてる人とか一匹狼のような人と思われていたでしょう。

お弁当の時間は自分の机でひとりで済ませ、余った時間はトイレに無駄に長居する、とかしていました。よく耐えられたもんです。


学年が変わってからも基本的に状況は変わらずじまいだったので、学校が終わってから友達と遊びに行くことはなく、することといえば、帰ってテレビを観ることくらい。大相撲を欠かさず観ていたので力士に詳しくなったりしてました。

ただ、そのときにいろんなテレビ番組を観まくってましたけど、結局テレビ番組の記憶なんてたいして残らないんですよね。もったいない青春時代を過ごしてしまいました。


そんな暗い高校時代にも少しだけ明るい時期がありました。2年生のときのクラスが文系クラスということもあり、クラスメイトが圧倒的に女子多数だったんです。12対28だったかな?

そのとき、たまたま席順で近くに座った女の子と授業中によく話をするようになって、これがかなり楽しかったんです。そもそも男子とも話す機会が少なかったので、授業中に夢中になって女子と話せるなんて楽しくてウキウキしたもんです。

もちろん好きになっちゃいました。恋は一目惚ればかりだったので、話していくうちに好きになっていく感覚が新鮮でしたね。

いま思えばもっと積極性があれば付き合えたでしょうね。遠回しに遊びに誘われてたのに気付いてなかったのが痛い。

女の子とどこかに遊びに行くなんて遥か別の次元の話しと思いすぎていたんでしょう。たとえ付き合えなくても遊びに行けたら暗黒期にはならなかったのに。結局、席が遠くなっただけで話す機会が減り、付き合うどころじゃなくなってしまいました。


3年生にもなるともう、恋どころじゃなく、まわりも受験勉強だから、特に何もありませんでした。それは勉強についてもです。

成績について言えば、学年が上がるごとに順位を下げていました。勉強よりも自分の残念過ぎる高校生活にガッカリして余計なことばかり考えていました。


特に衝撃的だったのが、いまは無き、雑誌「ホットドック・プレス(Hot-Dog PRESS)」でした。

あの雑誌、いろんな統計を出してるんですよね。初キスや初体験の時期とか、思春期が知りたいような目的の統計ばかり。そして東京の高校生の日常みたいのも出てるんですよ。

もう、その雑誌の内容と自分の高校生活のギャップが激しすぎるのなんの。激しく落ち込みました。世の高校生はこんななのか! と。

また、友達がいなかったので、自分の高校でも知らないだけで、みんながみんな付き合ってたりしているのかな? って思ったときも、すごいやるせなかったです。


そんなことをしていたら受験の時期がやってきて、どこにも合格できずに浪人することになりました。


浪人時代


東京での浪人生活が始まりました。

浪人してしまった以上、志望校のレベルを上げて頑張るぞ! と意気込んではみたものの、そもそも得意科目は理系なのに志望学部が文系だから文系にした身であったので、なかなか成績は上がりません。

というより、東京の生活にワクワクしてしまい、寄り道に精を出してしまい、浪人しても結局は勉強に集中できませんでした。

昔、東京に住んでいたとはいえ、それは小さい頃のことだから、東京への免疫がなく、東京に何でもあるのが楽しかったんです。関西にいた頃は田舎だったから、電車に乗ることも1年に1度あるかないかでしたから。


とはいえ、ここでも友達はできず、すべて単独行動です。この頃は、ようやくインターネットが普及し始めた頃で、使い方も分からないのに、マンガ喫茶に行ってチャットとかいろいろ試したものです。家にパソコンなんてありませんから。

字を打つのもままならないのに、よくやっていたものです。もっとその意欲を勉強に持っていければよかったんですが。


ケータイもまだ持っていませんでした。きっと他の浪人生は持っていたはずです。PHSとかが出てきた頃ですかね。どっちにしても、みちおが持っていたところで使う機会はなかったですけどね。


そんな浪人時代もなんとなく勉強し、なんとなく寄り道し、なんとなくテレビを見て過ごした結果、なんとなくな大学にだけ合格して、進学することになりました。


大学時代


高校からのうっ憤があったので、始めが肝心と、親にケータイを買ってもらい、自分でパソコンを買い、女の子の多いサークルにも入るなど、希望した大学ではなかったけれど、それなりに頑張って大学生活をスタートさせました。

入ったサークルは音楽経験もないのに音楽サークルでした。チラシの男女比率を見ると、圧倒的に男子が多い大学にもかかわらず、このサークルは男女比が半々だったのでサークルのブースを訪ねたら、良い人そうな先輩が多かったこともあり、そのサークルに決めました。

ただし、ここがみちおらしいというか、同じ新入生の部員が男ばかりで女の子は3人くらいしかいませんでした。


ここでガッカリしていられないと、先輩を通じてインカレサークルにも連れて行ってもらったのですが今度は、人数は多いけど他校が偏差値の高い学校ばかりだったので、完全に気おくれしてしまいました。しかも自分の大学から来ている新入生がみちおだけで、また輪に入り損ねかけたのです。

でも、人数が多いだけに、ここは何とか踏ん張ってつながりを持つようにしました。しかし、このインカレサークル、飲み会の雰囲気がぶっ飛んでいて、一気飲みは当たり前だし、みんな吐きまくりだから首からビニールを下げていつでも吐けるようにしている人だらけなど、酒の飲めないみちおには地獄でしかなかったです。

結局飲み会に耐え切れず、みっちり参加したけど、半年ほどでドロップアウトしました。


その後は、学内のサークルでひっそり活動をし、みちおと似たような少し暗い雰囲気の友達とよくつるんで、聞きもしない授業を真面目に出席して、文句ばかり言っていたもんです。


アルバイトもしましたが、頼まれるとシフトによく入っていたので、使いやすいアルバイトというくらいの印象だったように思います。割と真面目に仕事をしてました。

ここでも同じ大学生アルバイトと一緒になりましたが、そつない関係で過ごしてしまいました。


結局大学生活も新年度が来て、新しい出会いがちょびっとあったけど、自分と付き合えるような人とは巡り合えなかった。あーもう今年も恋愛できずに終わったな。

というのが続き、大学時代も恋愛経験なく終わってしまいました。


勉強については、経済系の学部であったので出席はうるさくないにもかかわらず、授業にはだいたい出てました。単位は落とさないけど、身にもなっていないという感じでした。

せめてもの思いでゼミは厳しいゼミに入りました。徹夜して課題をこなすことも多く、大学で唯一学費を有効活用できた部分だったと思います。

ただ、そのゼミの仲間は、みちおと全然違う軽いタイプの集まりだったので、アルバイトの人たちとの関係以上に当たらず触らずの関係でした。

だからゼミは結構つらい場でした。課題も大変だし、仲間で励ましあうような関係でもなかったので、だらけた大学生活のなかで唯一の張りとなっていました。


そのかいもあって、就職活動は、自信をもって臨めたので、周囲よりうまくいきました。あんなに自分に自信がなく、他を蹴落とすことなんてもっての他だったみちおが、グループディスカッションでは、グループの流れをリードするなどしていました。

ただし、ここでも重大なミス犯してしまったのです。内定先に選んだ会社がブラック企業であるセブンイレブン・ジャパンだったのです。


新卒入社時代


セブンイレブン・ジャパンに入社しました。

ブラック企業という言葉がまだ一般的ではなかった頃でしたが、2チャンネルなどではブラック企業ランキングなどが出始めていた頃でした。

みちおも2チャンネルにブラック企業と取り上げられていることは、内定が出る頃には知っていました。

しかし、経営的にはものすごい健全経営だし、その経営手法は日本の最先端を行く企業であったので、超一流企業の大変さくらいにしか思っていませんでした。

そもそも3流大学出のみちおがそのような巨大企業に行けることが奇跡だと思って、内定に目がくらんでしまったことがそもそもの間違いでした。


入社後は始めの宿泊研修から超体育会系で、軍隊のようでした。与えられた課題が多く、ろくに睡眠もとれない状況でした。

何をやったのか今はもう思い出せませんが、教官の罵声が飛んでいたことや最後にみんなで肩を組んで長渕の乾杯を唄ったことなどは覚えています。怪しい宗教の洗脳合宿みたいですね。


入社して3か月くらいにはもう、本格的にキツイ状況になっていました。地獄の残業の始まりです。

ここから退職するまでの約2年で平均して月に130時間は残業していたと思います。少ない月で100時間で多い月で180時間でしたから。しかも昼夜問わずに残業していました。

月130時間の具体的なイメージとしては、9時から勤務開始だとしたら、週1休みで毎日22時まで仕事、という具合です。

ちなみに月180時間だと、同じ条件で毎日24時まで仕事、という具合です。

通勤時間を考えると寝る時間が全然ありません。常に3、4時間の睡眠時間だったように記憶しています。


しかも時間帯に限らずだったのがつらかったです。ひどいときは、2日分の勤務を続けてこなしたり、1日分でも24時間勤務だったりしました。

2日分の勤務を続けるとは、例えば朝9時に出社して次の日の朝8時59分までの23時間59分を1日分の勤務としてタイムカードを切って、その1分後に出勤のタイムカードを切って2日目の勤務が始まる、といったものです。そのような場合、30何時間仮眠もなく働くことになります。


2日分の場合、夜勤から日勤というパターンもあります。夜勤として例えば21時から出勤して朝退勤して、1分後に出勤して夜22時くらいまで働くといったものです。そのような場合も、なんだかんだ24時間超働き詰めです。


時間的なところばかり話しましたが、ノルマも半端じゃなかったです。あまりに与えられた目標が高すぎたので、自社商品を自腹買いしなければ達成のしようがなかったんです。

会社は建前上、自己購入は禁止していましたが、みんなやってました。というより、やらないと目標に達成できなかったとき、ヤクザのような上司がブチ切れて死を見るのでやらざるを得ません。

例えば、夜に飛び込み営業をするように急に命令されて、行くところなんてないから、全然関係ないスナックに営業に行くようなことをさせられたりします。それなら自分で補てんしてでも帰りたいもんです。


こうして金銭感覚がマヒしていき、忙しさのあまりにたまの休みがあると、お金でものを言わせて遊ぶ癖がついてしまいました。

これだけ頑張っているんだからパーッと遊んでも罪はないだろうと。ブログだから言えますが、休みのたびに必ず万単位のお金をつぎ込んで、大人の遊びに興じていました。


彼女がいたこともないのに、このような遊びに手を出せたのは、ほっといてもお金が貯まっていく生活であったこともありますが、死ぬほど忙しいので彼女ができるわけもないことや、思いっきりストレス解消しないと仕事が乗り切れないことがあります。


とにかく心身ともに不健全な生活でした。最後は緊張の糸がプツンと切れ、人前で感情を露わにすることがないにもかかわらず親の前で泣きじゃくり、これ以上耐えられないと思って退職しました。

退職を申し出てからもブラック企業らしく、なかなか退職させてもらえず、正式に退職するまでに半年近くかかりました。


この約2年間は、忙しすぎて記憶がすっぽり飛んでる時期があったり、原因不明の体調不良に見舞われたり、酔っ払ってもいないのに気づいたら知らないベンチにいたりなど、過労死の間際を体験したように思います。

2年が5年くらいに感じるほど、毎日が戦場のように過酷で苦しい日々でした。

実際に同僚には過労死か自殺かで亡くなった者や夜逃げをした者もいました。


詳しいことは別の記事にまとめましたので、興味のある方は次の記事もお読みください。
www.katei-enman.com


再就職時代


会社を辞めてからしばらくは脱け殻状態でした。何もする気が起こりませんでした。

ようやく思い腰を上げて転職活動に入りましたが、衝撃的な事実を突きつけられます。

転職エージェントに相談に行ったら、あれだけ死に物狂いで頑張ったのに、何ら評価されない状況だったんです。

そりゃそうです。仕事内容は会社内でしか通じないような内容のことばかりだし、頑張ったのも気合いと体力的な部分ばかりですから、スキルなんて身に付いていません。

結局、命を削って得たものはお金くらいだったのです。お金を得た代わりに失ったものが大きかったので、やっぱり新卒の就活は大失敗だったんです。


転職活動は案の定うまく進みません。同じような会社に入ったらおしまいとの思いがあったので、必要以上に慎重になっていたのもあります。

最終的には本人の知らないところで、親のコネで転職活動を終えました。通常の採用過程を経ていたので選考のうえでの採用と思い込んでいましたが、実際は形ばかりの選考でした。

それを知ったのは入社してからでした。


しばらくは様子見で特に何もなかったのですが、面白く思わなかった一部の派閥から嫌がらせを受けるようになりました。稟議が全く通らない嫌がらせです。

始めは温和な上司でそのようなことはなかったのに、上司が変わったとたんそのようになりましたから、完全な嫌がらせだったのでしょう。

もうこれ以上失敗を犯したら、俺の人生は立て直しがきかない、と強く思っていたので、何とか残業して仕事をこなすように勤めました。

でも、何をしたって稟議を通す気なんてないんです。ケチはつけるけど、アドバイスがないからいつまでも試行錯誤でうまくいきません。


結局、またしても残業地獄と隠れて休日出勤する日が続きました。前職のこともあったので、もう心身はヘロヘロです。


ついに壊れてしまいました。過呼吸をし始めたと思ったら、今度は動けなくなり、さすがにヤバイと思って病院を受診。

強度のうつ病と診断されました。きっと前職時代にもなっていたのかもしれません。

すぐに休職するように言われましたが、そんなことをしたらクビになると思い、薬を飲みながら勤務を続けました。


そしたら、薬の副作用もあり、まったく仕事に集中できなくなり、突然眠くなる症状にも襲われました。

そしてまた起き上がれなくなり、結果、ドクターストップで会社を休職することになってしまいました。


その後、復職と休職を2度繰り返し、まともに仕事をできる状況になかったので、事実上の退職勧告を受けて退職することになりました。


そのときの唯一の支えが、好きなバンドのライブで知り合ったライブ友達の存在でした。

みちおがこのような状況でも変わらずに接してくれて、遊びにも付き合ってくれた彼らには感謝してもしきれません。絶望だと思っていた世界に光を射してくれた存在です。

バンドと彼らに出会ってなくて何も支えがなかったら、本当に自殺をしていたかもしれません。それくらい重症でした。


無職時代


退職後はリハビリも兼ねて仕事には就かず、資格取得を目指して学校に通いました。いちから出直すつもりでの選択です。

一度社会人を経験すると学生の有り難みがよくわかり、存分に楽しい学生生活を送りました。20台後半になってからの遅れてきた青春です。

勉強も頑張りつつ学校の友達ともよく遊びに行きました。やったことのなかったビリヤードやダーツなんかも経験しました。


そしてここでようやく巡り会いました。

そうです! 初彼女ができました。

積もり積もった思いが爆発し、嬉しくて仕方ありませんでした。世界が輝いて見えた瞬間です。


が、ここでもとんでもない事実が潜んでいました。

彼女は生粋のメンヘラだったのです。みちおも同じだからあまり気にしてませんでしたが、レベルが違いました。

ちょっとしたトラブルがあるとものすごい剣幕になってリストカットもありました。血だらけの彼女の腕を見たときの血の気の引いた感覚はいまだに忘れられません。


結局、初めての彼女は1年持たずに別れることになりました。感情の浮き沈みの激しすぎる彼女に相当振り回されてしまいました。


その後は無事に資格をとり、いまの仕事に繋がっています。


みちお自身のメンタル面はというと、学校生活を経て仕事に就いたので、少しずつストレスに慣れることができたこともあり、不安定な要素はいまだにありますが、何とかコントロールしながら保てています。


妻と出会う前


妻と出会う前、みちおは回りに触発されて婚活を始めていました。

具体的には友達に合コンを設定してもらったり、お見合いパーティーに参加したりしてました。仲良くなる子もいましたが、付き合うというところまではなかなか思えない関係が続きました。


そうこうしているとき、会社に新人が入りました。ハキハキして明るい子でした。その子の教育担当になったことで接する機会が多かったんですが、話せば話すほど面白い子で惹かれて行きました。

そのうち、その子に会えることが嬉しくなり、仕事に行くことが楽しくなってきました。あんなに仕事がうまくいかなかったみちおが、仕事に行くのが楽しくなるなんてもはや奇跡です!


会社の飲み会でもよく話をし、いい感じになってました。会社の人と付き合うなんてこれっぽっちも考えていなかったので、自分でもびっくりでした。

どうしたら問題なく仲を深められるか考え、お昼ご飯を自然に誘えればと考えました。そしてある日、会社の外で偶然はちあったときに、誘おうとしました。

すると察知したのか、みちおが話始める前に不自然に一緒には食べに行かない予防線を張られてしまいました。あまりのショックに何を言われたかも覚えていません。


職場内恋愛は無理なんだなと思い、半ばやけくそにしばらくお休みにしていた婚活を再開しました。


再開後に行った最初の婚活イベントで知り合ったのが妻でした。

人生どこでどう変わるかわからないものです。


ここから新たな人生への幕が開けました。環境だけじゃなく、みちお自身も大きく成長し始めたのが妻との出会いでした。


☆☆☆☆☆


妻との馴れ初めについてはまた別の機会に紹介できればと思います。


そんこんなで、紆余曲折な人生を歩んでいるみちおでした。


この記事を書いて気づいたのは、いつでもみちおの人生のエネルギー源は、恋や愛であるということです。

好きな女の子と一緒にいたい、大好きな親に嫌われたくない、将来の家庭を夢見て仕事を頑張る、妻に幸せな人生を歩んでいると思ってもらいたい。

どの時期も目的の対象は違えど、人への愛がみちおを動かしています。

だから、これからは、妻と子どものために仕事も家庭生活も頑張るんです!


そんな想いから家庭円満.comが始まりました。

これからもよろしくお願いします。


すべて読んでくれたあなた、貴重な時間にみちおの人生を感じてくれたことに感謝いたします。


みちおへの連絡は次のアドレスからどうぞ!

kateienman.michio@gmail.com